香雪と寺院地域との
交流の様子をあらわす数々の作品
印度婆羅奈斯国所見(インドバラナシこくしょけん) (淵之坊蔵)
砂漠の夕日とラクダを描いた屏風。香雪が大勧進で雲上殿の壁画を描いていた昭和23年の作品。表具はインドの更紗を使っています。
白衣(びゃくえ)観音(淵之坊蔵)
淵之坊先代の若麻績貫定師は、昭和28年2月25日に大本願で行われた法要の後、法衣を着たまま脳溢血で亡くなりました。本図は、貫定師の七七日に、生前親交のあった香雪から「お父さんの追善のために、面影を観音さまにして描きました」と先代住職の侑孝師に贈られ、霊前に供えられました。少し太っていた貫定師の面影を重ねて観音様のお顔は少し丸く描かれています。
あひるの子(安養寺蔵)
月影の(安養寺蔵)
大正3年から昭和20年まで香雪は淑徳高等女学校で教鞭をとっており、三男恒寛もまた淑徳学園高等学校で美術の教師になりました。安養寺先代住職の服部英淳師が昭和29年から昭和38年まで淑徳学園の校長をしていた縁で、現住職服部淳一師が小学生だった昭和35年に、山ノ内町にあった香雪の不動山荘に親子3人で招かれて、この色紙を描いてもらいました。
「生まれたばかりのあひるの子 よろよろあるくあひるの子 おしりふりふりあひるの子」
「月影の至らぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ」
浄土宗宗祖法然上人の御歌
遍照(個人蔵)
【左】山河嗤人 【右】心眼燦然如月(個人蔵)
葉書(個人蔵)
荻原久は、新田町でお茶の師匠をしており、香雪と交流がありました。 香雪が倒れて湯田中で療養していたころ、時々見舞いに訪れており、その礼状(葉書)や禅語の掛け軸の読み方を香雪に尋ねた返事の葉書が残っています。
雀(大定院蔵)
葉書(表) (裏)(大定院蔵)
沢木興道師(明治13.6.16~昭和40.12.21)は、座禅会をしていた大定院で、香雪と親交を深めていました。沢木師は曹洞宗師家(しけ)で、「金も名誉も肩書きも憤りすらも求めない」と定住する寺を持たなかったことから「宿なし興道」と呼ばれました。大定院には、二人が興に乗って描いたものが数多く残っています。
また、香雪から先代住職藤沢法運師に宛てた葉書も残っています。昭和29年、30年、35年、36年、37年、38年の消印があります。昭和20年頃か、大勧進が住所となっている葉書も1点あり、昭和37年に中野市北信病院の病床から差し出された葉書も残っています。
野生司香雪画伯の作品について 〜目次〜
野生司香雪画伯とは 〜目次〜
野生司 香雪(Nousu kousetsu)画伯展へぜひお出かけを
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2023年長野市仏教会主催のセレモニー予定
法妹の装身具や衣裳の展示や「法妹」の舞も
5月12日(金)14:00開場
北野カルチュラルセンター1階
大本山永平寺貫首南澤道人不老閣猊下 御親修
「釈迦牟尼仏慶讃法要」ならびに
「野生司香雪画伯五十回忌法要」
■記念講演「野生司香雪の生涯と仏伝壁画」
元徳島文理大学非常勤講師 溝渕茂樹氏
5月14日(日)11:00〜,13:30〜
北野カルチュラルセンター1階
■「法妹」藤間千勢津社中
令和5年、長野市仏教会創立81周年記念、そして、仏都花まつり第101回記念としてのイベント「野生司香雪画伯展」へぜひお出かけください。
※各催事には混雑緩和の為に定員がございます。事前予約は行わず当日受付になります。(2023年5月12,13,14日)