長野市仏教会創立81周年記念・仏都花まつり第101回記念
野生司(のうす)香雪(こうせつ) 展
~サールナート(インド四大聖地)に仏伝壁画を描いた画家~
ごあいさつ
令和5年5月、長野市仏教会は「野生司香雪展」を開催いたします。
この展覧会は、令和4年、当仏教会が創立80年を迎え、事業を引き継いできた「仏都花まつり」が第100回を迎えたことを記念するもので、コロナ感染症拡大防止の観点から一年延期して行うものです。
野生司香雪画伯は、仏教四大聖地の一つであるインドサールナートの初転法輪寺に、釈尊の生涯を辿る記念碑的な大壁画を描かれたことで世界的に知られます。香川県出身の画伯は戦中戦後、長野を拠点に活躍され、各寺院をはじめ地域の方々と親しくご縁を結ばれるとともに、当時創立された長野市仏教会の活動にも多大な貢献をされました。
この博覧会では、画伯の没後五十年を迎える中で『印度初転法輪寺壁画大下絵』(永平寺蔵)の展示を中心に野生司香雪画伯を顕彰し、長野の人々との交流の足跡もあわせて展示いたします。
野生司 香雪(No(-)su Ko(-)setsu)画伯展 詳細
- 期 間
- 令和5年(2023年)5月12日(金)~ 5月21日(日) 会期中無休
- 場 所
- 北野カルチュラルセンター (長野市西後町1603)
- 時 間
- 10:00~17:00 入場無料(※初日の5月12日(金)は14:00開場)
- 主 催
- 長野市仏教会
- 共 催
- 仏教伝道協会
- 協 賛
- 善光寺・善光寺大勧進・善光寺大本願・本願寺長野別院・浄土宗ともいき財団・北野建設株式会社
- 協 力
- 大本山永平寺・野生司香雪画伯顕彰会・清蘭堂
- 後 援
- インド大使館・全日本仏教会・長野県仏教会・日本仏教保育協会・ 長野市仏教保育連盟・信濃毎日新聞社・SBC信越放送・NBS長野放送・TSBテレビ信州・abn長野朝日放送・INC長野ケーブルテレビ
※クリックで拡大してご覧いただけます。
長野市仏教会主催のセレモニー予定
5月12日(金)14:00開場
北野カルチュラルセンター1階
大本山永平寺貫首南澤道人不老閣猊下 御親修
「釈迦牟尼仏慶讃法要」ならびに
「野生司香雪画伯五十回忌法要」
■記念講演「野生司香雪の生涯と仏伝壁画」
元徳島文理大学非常勤講師 溝渕茂樹氏
5月14日(日)11:00〜,13:30〜
北野カルチュラルセンター1階
■「法妹」藤間千勢津社中
※各催事には混雑緩和の為に定員がございます。事前予約は行わず当日受付になります。
野生司香雪画伯について 〜目次〜
ご存じですか?
インドに日本人画家が描いたお釈迦様の壁画があることを
野生司香雪(No(-)su Ko(-)setsu)プロフィール(仏画家、1885~1973)
野生司香雪(本名野生司述太 1885~1973)は、明治18年に香川県高松市郊外で浄土真宗の僧侶の長男として生まれました。
絵が得意だった香雪は、東京美術学校(現東京藝大)に進み日本画を学び、卒業後は横山大観らが再興した日本美術院に参加しました。
大正6年には仏教美術研究のためにインドに渡り、アジャンター壁画の模写に向かう荒木寛方に出会い、誘われて参加し、現地で美校時代からの親友、桐谷洗鱗に出会いました。
帰国後の大正9年にその体験を生かした六曲一双の屏風「窟院の朝」を院展に出品して入選しましたが、以後は画壇から遠ざかりました。
昭和6年、仏教の絶えたインドでの仏教復興を志し世界に呼びかけ活動していたスリランカ人のダルマ・パーラ(1864~1933)が仏教の四大聖地の一つサールナート(鹿野苑)に寺院を建立し、堂内に「釈尊一代記」を描くことを、仏教国でアジアの先進国だった日本に依頼してきました。
制作者として親友の桐谷洗鱗が選ばれましたが、渡印直前に病に倒れ急逝、再度協議して香雪が選ばれ、足かけ5年をかけて苦難の末に完成させました。それは、かつて香雪が所属した日本美術院の創設者、岡倉天心、横山大観らが望み、実現しなかった日本画を世界にとの志の実現でもありました。
長野市の雲上殿に
野生司画伯の壁画があります
昭和11年、インドからの帰国後、香雪に、善光寺から新築中の雲上殿の壁画揮毫の依頼がありました。
建物の工事は昭和16年に完成しましたが、第2次世界大戦に突入し、壁画が完成したのは昭和22年でした。
壁画は、「善光寺縁起」が語る本尊伝来の物語を、二つの壁面に振り分け、片方はインドから百済を経て日本へ、一方には難波の堀江から信濃への物語を絵巻物風に描き、あわせて、対面して釈尊像と聖徳太子像を描きました。これにより香雪は、初転法輪寺に描く予定で描けなかった画題「仏教の世界伝播の一例」を、初転法輪寺の仏伝と関連付けて完結させ、初転法輪寺壁画と善光寺壁画とを時空を超えて結びつけました。
昭和22年、仏画家の野生司香雪氏により完成された縦横2×7メートルの壁画です。仏教の伝来や善光寺の成り立ちが描かれています。
仏教四大聖地の一つ、サールナートの
初転法輪寺(ムラガンダークチ・ビハーラ)の仏伝壁画
香雪が描いた「釈尊一代記」〜釈尊の生涯を辿る記念碑的な大壁画〜
昭和6年、仏教の絶えたインドでの仏教復興を志し世界に呼びかけ活動していたスリランカ人のダルマ・パーラ(1864~1933)が仏教の四大聖地の一つサールナート(鹿野苑)に建立した寺院。依頼された香雪が、堂内に「釈尊一代記」を描きました。
サールナートは仏教四大聖地の一つ。
ムーラガンダークティー・ビハーラ釈尊一代の壁画
なお、初転法輪寺壁画の原寸大の下図は、昌禅寺住職の取り次ぎで大本山永平寺に寄贈されました。
香雪は、その後、長野市の芸術、仏教関係者ら文化人と交流し、晩年は山ノ内町の渋温泉の山荘を終の棲家として、昭和47年に逝去しました。
享年88歳。インドの壁画は昨年保存修理工事が完了しました。
インドから仏都・善光寺へ
聖牛(白牛)招来
国外移出禁止の印度白牛、香雪が頼み実現。
昭和26年(1951)9月10日、日本とインドの友好親善のため、インドから善光寺へ聖牛(白牛)3頭が贈られました。
白牛は聖牛として崇められ、国外移出は禁止されているが、野生司画伯が直接手紙で頼み実現。日本とインドの文化交流に尽力された画伯のご縁で、仏教伝来1400年を記念してインドのネルー首相から善光寺へ贈られたのです。
当時の信濃毎日新聞では「印度白牛・仏都入り」という大見出しで、長野市中央通りには出迎えの人波みが5万人であったと報道されています。
淵之坊若麻績侑孝さん取材
インドから渡った聖白牛について
昭和26年東京晴海埠頭に船で着いた一番(ひとつがい)の白牛は銀座まで行進をした。この一番(ひとつがい)を迎える善光寺は大変なことだった。 特別の牛舎を造り、飼育専門の職員(木戸さん)が県庁を辞めてこの白牛をむかえた。その頃、父貫定が事務局の係をしていた関係で野生司先生もよく当坊を尋ねられ相談していた。白牛の飼育にも気を使い夏は菅平の牧場へ避暑に行った。小型トラックの荷台へ乗せて連れていったのだが、牛が嫌がっていたのでビールを飲ませていたのを憶えている。ビールをうまそうに飲んでからトラックにのった。
牛小屋は中に入って見られるようになっていた。暖かい日に散歩に連れ出す以外あまり外に出さなかった。
聖白牛は一番(ひとつがい)で来たが、雌のお腹の中には赤ちゃんが入っていて、日本に来てすぐ子牛を生んで3頭になった。生まれた雄牛は「和光」と名付けた。この「和光」という牛が立派だった。堂々としてコブもりっぱだった。牛が好きだったので牛小屋によく遊びに行った。大学から帰ってくれば時々牛のところに行き背中を擦ってやった。一番多い時は4頭になったが、子供ができずだんだん死んでいった。
仏都・長野の復興に尽力
行事の演出や衣裳装飾品デザインなど
節分行事の「鬼」や、花まつり「法妹」装身具・衣装
白牛招来のほか、香雪はいろいろな面で仏都・長野の復興に力を尽くした。
善光寺の秘儀であった節分会の演出もそのひとつである。青鬼赤鬼にチベット風の大きな仮面をつけさせ「オーン、マニ ペメ フーン」というラマ教の経文を掛け声に、ドラをたたいて走り回らせたという。
花まつりにもインド風の仏教舞踊を取り入れ、法妹衣装の装身具のデザイン画を描き作製させ、更紗の布に染色してサリーの作製をしました。
野生司さんデザインによる装飾品とそのデザイン画
長野市仏教会主催の「花まつり」と野生司さんとのご縁その1
長野市にある「マツヤカメラ」小林英次さん取材
野生司画伯についてと「法妹」の装身具制作
野生司さんが長野市仏教会主催の花まつりとどのような経緯でかかわるようになったかについて、長野市にある「マツヤカメラ」小林英次さんに取材をさせてもらいました。(平成24年2月時)。
香雪さんはインドへ出発したのち、滞在が2年の予定が3年かかり、絵を売ったりしてお金をつくったとのこと。
マツヤカメラの小林一家は3月10日の空襲で長野にきて今の店を買いました。 戦後、お金のない野生司さんは大勧進の余間に夫婦で住み、長野市城山にある、雲上殿の絵をかいていました。その後、野生司夫妻は長野市の横沢町に住んでいたそうです。
しばらくして、長野市善光寺にて、花まつりで仏教踊り(インド舞踊)をすることになった。これが法妹(ほうまい)のはじまり。
小林亀治郎さんという方が、その昔、東京で金属加工をしていて、伊勢神宮や九州の神輿の仕事をしていた。その亀治郎さんが金属加工していた関係で、写真のような法妹の飾り(冠、腕輪、首輪など)を作った。宝石は、松屋小間物屋のかんざしの材料を転用したそうです。
野生司さんがデザインした更紗を法妹の衣裳に
長野市仏教会主催の「花まつり」と野生司さんとのご縁その2
法妹(ほうまい)で少女たちが踊る際にまとう衣裳は、野生司さんがインドから持ってきた更紗で作ったそうです。
踊りは後藤純男舞踊団(洋舞)に通っていた人がやったとのこと。初回は、寿量院さんの先先代の姪が舞った。小林つるさんが法妹の着付けをしていた。
インドの踊りのような「法妹(ほうまい)」の由来
毎年5月に善光寺で行われる、長野市仏教会主催の「花まつり」。法要では「法妹」も。
日本舞踊の藤間千代枝さんに取材(平成24年3月:藤間千勢津さん同席)
「法妹」の踊りの振り付けについて
法妹は終戦すぐの頃、最初は後藤純男さんの振り付けで、そのお弟子さんがした。ただ後藤先生は洋舞なのでダンスのようになってしまった。衣裳は最初インドから持ってきたが、その後作らせた。
昭和26年にインドから白聖牛が来たとき、野生司先生から「ちーちゃんお願い」と依頼され法妹をやった。
法妹の踊りの指導は野生司さんがインドで覚えてきたものを「ぐるーと回って、3歩下がって。」「回すときは右に回して、3歩下がってちゃんと右足立てて座って」と言われながら仕上げていった。これが今に伝わる法妹。後藤純男さんの踊りとは違う。
法妹は儀式であり、礼法です。「法妹」とは、お釈迦さまにお使いする女の子が、お供えをするという意味と聞いた。
今は「ダルマ」と呼ばれる役が仏様のかわりになるもので、儀式の主になり、まわりはお付の人で献花したりする。
ダルマ役が一番重要で、一番年上の子がやる。法妹の儀式をすることはすごく名誉なことで、家族も喜んでいる。法妹は独身でしかできないので、結婚したら法妹の衣裳は着れなくなる。
法妹の衣裳サリーは幅の広い布を巻くだけで、紐1本で着ている。ずれてくることもある。
法妹の音楽「いまささぐ」は初めからあった。
最初に善光寺で花まつりをやることになったのは、先先代の白蓮坊さんに「野生司さんが知っているのでやったほうがいいですよ」と言って、それから正式に花まつりを善光寺でやりはじめた、とのことです。
新津和子さん(旧姓は天野さん)に取材(平成24年3月)
「法妹」の黎明期の様子
「法妹」については、寿量院さんにて新津和子さん(旧姓は天野さん)にも取材を行いました。
昭和21年20歳の時。本物のサリーを着て、大本願明照殿前で写した写真。
写真の真ん中が私と、「鳥八」の幸子(ゆきこ)さんと、「岡沢そば屋」の娘さん。
野生司先生からは「摩耶夫人」の役といわれた。他の二人の役名は分からない。衣裳は3着で、野生司先生が用意してくれた物。私は白っぽい衣裳だった。
野生司先生がデザインした布でできた衣裳を着て、3名で写っているのが以下の写真です。
同じ衣裳で、昭和22年5月8日雲上殿で撮った写真もある。その日はお花まつりをして、今の城山公民館でも舞った。
雲上殿では写真を撮っただけ。
それから毎年5月5日に花まつりをして、3回ぐらい踊った。昭和24年23歳の時に結婚してやめた。その後花柳の日舞をやり、元善町と横沢町の子供会で教えた。その後3人で会うことはなかったが、「鳥八」の幸子(ゆきこ)さんとはばったり会ったことがある。
その頃の踊りは、後藤純男先生の振り付けでインドの踊りの様だった。音楽はゆったりした曲だった。「法妹(ほうまい)」とは言ってなかった。
後藤純男先生は西洋舞踊。須坂出身。東京で石井漠に師事した。後藤いづつさんは弟。
後藤純男先生は大門の「佐藤額縁屋」の隣に住んでいて、そこ練習所があった。練習所は板の間で鉄棒があった。生徒は7~8人ぐらいで多くて10人ぐらいだった。
後藤先生は髪がふわっとしていて素敵だった。眉毛は恐かった。練習は厳しかった。小学校1年から8年やって、6年の免状もらった。
後藤先生はぬいぐるみを着て踊ったこともあった。後藤先生は91歳で亡くなられ、妻科の寺に墓がある。
昭和24年には博覧会があり、インドの物もあった。
野生司先生は中島写真館裏の大きな家(今は駐車場になっている)に住んでいた。低い声だった。先生の前では緊張した。
野生司先生はあまり筆を持たなかった。先生は俳句もやった。須坂臥龍山に「田植るは土に好かれる姿せり」の句碑ある。
- <参考資料>
- ・野生司香雪仏画の世界(信濃毎日新聞社発行)
- ・野生司香雪―その生涯とインドの仏伝壁画―(著者 溝渕茂樹、中村義博、ノウス香雪画伯顕彰会)
- <参考ホームページ>
- ・野生司香雪画伯顕彰会 https://nosu.info/kosetsu-nosu-and-indian-buddhist-biography/about-nosu-kosetsu/
- ・仏教伝道協会 https://www.bdk.or.jp/
- ・平等院 https://www.byodoin.or.jp/news/special/post-15/
- ・北野カルチュラルセンター https://kitano-museum.or.jp/cultural/facility/
- ・雲上殿の壁画 https://unjouden.zenkoji.jp/about/
- ・日印協会 https://www.japan-india.com/release/148a217d719efb1d09c4deaddee80d77844668a5
昭和40年(1965年)には長野市仏教会から野生司先生へ感謝状を贈呈
長野市仏教会と野生司先生とのご縁
記念イベントへぜひお出かけください
以上のように、長野市仏教会と野生司先生とは古くからのご縁がありました。
長野市仏教会主催の「仏都花まつり」は、野生司氏の感性や企画力が存分に生かされたものとして今日も続いているのです。
野生司香雪画伯の作品紹介 〜目次〜
野生司 香雪(No(-)su Ko(-)setsu)画伯展へぜひお出かけを
※クリックで拡大してご覧いただけます。
長野市仏教会主催のセレモニー予定
法妹の装身具や衣裳の展示や「法妹」の舞も
5月12日(金)14:00開場
北野カルチュラルセンター1階
大本山永平寺貫首南澤道人不老閣猊下 御親修
「釈迦牟尼仏慶讃法要」ならびに
「野生司香雪画伯五十回忌法要」
■記念講演「野生司香雪の生涯と仏伝壁画」
元徳島文理大学非常勤講師 溝渕茂樹氏
5月14日(日)11:00〜,13:30〜
北野カルチュラルセンター1階
■「法妹」藤間千勢津社中
長野市仏教会創立81周年記念、そして、仏都花まつり第101回記念としてのイベント「野生司香雪画伯展」へぜひお出かけください。
※各催事には混雑緩和の為に定員がございます。事前予約は行わず当日受付になります。