長野県長野市内の寺院が宗派を超えて結集し、さまざまな活動を。善光寺で開催される「花まつり」など。

第9話「お経誕生の秘密-思い出すことの尊さ-」

第9話「お経誕生の秘密-思い出すことの尊さ-」

長野市仏教会仏様のおしえ

♪い~つのことだか~ 思い出してごらん~♪

♪あんなこと~  こんなこと~  あ~ったでしょう~♪

今もなおどこかの幼稚園や保育園の卒園式で歌い継がれているのでしょうか、「思い出のアルバム」(作詞、増子 とし)という歌の一節です。幼いながらにも大切な思い出があり、その思い出が自分自身を成長させる糧になる、そのような歌だと思います。

大切な思い出が心の支えになる。それは仏教でも同じです。2400年も前のインドでお釈迦さまが説いた教えは「お経」となって今に伝わっています。その「お経」の誕生には、お釈迦さまとの思い出を大切にする弟子たちの思いがありました。

お釈迦さまと弟子たちがともに過ごすなかには、さまざまな出来事が起こります。そうした折々にお釈迦さまがコメントを残します。その場に居合わせた弟子たちはお釈迦さまの言葉を聞き、それぞれに思いを抱き、そうした言葉を釈迦さまから授かった大切な教え「説法」として受け止め修行に励みました。

お釈迦さまは80歳で亡くなったと伝えられています。残された弟子たちは、「お釈迦さまのお言葉、御説法は数多い。その場に居合わせず聞き逸した教えもあるだろう。一度、弟子たちが一堂に会して各々が聞いているお釈迦さまの言葉、説法をまとめておこう」と思うようになりました。そうしたなか阿難(あなん)というお弟子さんに注目が集まりました。お釈迦さまより年下の従兄弟であった阿難は、長年、お釈迦さまのそばでお世話係を務め、お釈迦さまの言葉をすべて憶えていたのです。

弟子たちが阿難に釈迦さまの言葉を尋ねます。すると阿難は「私はこのように聞いています。ある時、お釈迦さまは誰々と何処にいて、このようにおっしゃいました」と語り出し、さまざまなエピソードとともにお釈迦さまによる説法を千通り以上にも再現してみせました。弟子たちは「確かにそうだった」あるいは「知らなかった、そうだったのか」と共感しながらお釈迦を偲びました。阿難の語り口は後世に伝えられ、記録され、お経となりました。お経は一つではありません。千通り以上もの種類があります。その数は弟子たちの心の中にあるお釈迦さまとの思い出の数と言っていいでしょう。

お経は原則として、「私はこのように聞いています」と語った阿難の言葉「如是我聞(にょーぜーがーもん)」という一節から始まります(般若心経など例外もあります)。阿難の記憶を頼りに弟子たちがお釈迦さまの思い出を語り合い、共有するところからお経は誕生しました。お経とは、釈迦さまの言葉を心の糧として大切にしてきた弟子たちの思いそのものなのです。

誰にでも、今は亡き大切な方がいらっしゃるはずです。ご縁のある方一人一人から亡き方の思い出を拝聴し語り合う機会があるならば、亡き方への思いを新たにするばかりか、今まで気付かなかった亡き方の魅力にきっと出会えるはずです。

亡き方の思い出を語り合い後世に伝えていく。じつに仏教的な営みであると思います。

平成30年 長野市西後町十念寺 袖山榮輝