第1話「いのちを羽含み合う」
「羽含む」という言葉をご存じでしょうか。
国語や古語辞書にも出ていない言葉ですが、鎌倉時代のとある仏教書で巡り逢いました。「はぐくむ」と読むようです。
親鳥がひな鳥をその羽で優しく包み込み、寒さや外敵から護り、慈しむ様子を言い表しているのでしょう。「育む」と同じ意味です。
仏教の開祖、お釈迦さまの教えに、母親がわが子を、しかもいのちに換えても一人の子を護るように、生きとし生けるものに、量り知れない慈しみの心を発(おこ)すがよい。『スッタニパータ』第149偈
とのお言葉があります。
「羽含む」の精神を生きとし生けるものすべてに振り向けてごらんなさい、と受け止めることもできましょう。
お釈迦さまは紀元前463年、古代インドの都市国家カピラヴァストゥを治める王族、釈迦族の王子としてお誕生になりました。お釈迦さまとは、ご自身の一族名がそのまま尊称となった呼び名です。
さて、お釈迦さまは生後7日にして、お母上の王妃マーヤーを亡くされてしまいました。出産は医療の発展した今日でも命懸けの営みでありますが、
古代インドのこと、 王妃はみずからのいのちを使い果たしてしまいました。
「わたくしのいのちと引き換えに母のいのちを失わせてしまったのか」
少年時代のお釈迦さまが心悩ませたことは想像に難くありません。
人はどうしてこの世に生まれてくるのだろうか。なぜ死ぬのだろう。生きるとは何なのか。死んだらどうなるのだろう。
そうした疑問に悩み苦しんだお釈迦さまは心の安らぎ、本当の幸せとは何かを求めて修行の道に身を投じました。29歳の時と伝えられています。そして6年、お釈迦さまはついにあらゆる煩悩を吹き消した境地である涅槃(ねはん)に達し、仏陀(ブッダ=さとった者)となられました。仏(ほとけ)さまのことです。
仏となられたお釈迦さまは、私たちに「母親がわが子を護るがごとき慈しみの心をおこしなさい」と説き示してくださいました。
一つ一つのいのちははかないものです。しかし、その一つ一つのいのちはさまざまなご縁で結ばれ無限につながっていきます。はかないけれども、かけがえのないもの。それが私たちのいのちなのです。
目に見える大きさの者も、目に見えない大きさの者も、遠くにいる者も、近くにいる者も、もう生まれている者も、これから生まれてこようという者も、生きとし生けるすべての者はみな幸せであれ。 『スッタニパーダ』第147偈
これもまたお釈迦さまのお言葉です。
いのちを羽含み合いましょう。折に触れ自分自身を省み大切にいたしましょう。自他ともにいたわり慈しむ、それが仏道を歩む者の姿なのです。
平成19年 長野市西後町十念寺 袖山榮輝