トップページ > 仏さまのおしえシリーズ >

6.「絆」と「菩薩のこころ」

 本年の桜の便りは存外に早く、本来遅い長野の春も、ここに来て一気にやってきたようです。桜が咲くと、いよいよ新たな出発の時のような、新鮮な気持ちがいたします。
桜は咲くもよし、散るもよしという希有な花です。特に散り際は「桜吹雪」と賞されます。
仏さまの世界(浄土)では空から美しい花々が雨のように降りそそぐ、と様々な経典に描かれています。空に舞い散る「桜吹雪」を見ながら、浄土の世界へ思いをはせることもできましょう。

さて、未曾有有の大震災の後、私たちがよく耳にするようになった言葉があります。
「絆」という言葉は、私たちが兎角忘れがちな、人と人との結びつきを意識させました。失って痛切に感じたかけがえのない絆、無事を喜びあうことで確認した絆、そして、手を差し伸べ、差し伸べられたことによって生まれた新たな絆。さまざまな絆が日本に満ちています。そして今、私たちはそうした絆とともに生きています。

ところで、この絆という字は、偏は「糸」、つくりは「半」です。
もともとは馬をつなぎ止めるために綱や紐で括ったことをいうそうです。一本の綱の両端を結ぶことで繋ぐことができます。その時、綱は半折りの状態になります。ゆえに糸に半で絆ということのようです。綱は結ぶと輪になります。輪になるから離れず結びついていられるのです。
私たちの「絆」も同じではないでしょうか。平穏な日常の中では意識しなかった当たり前のことがこの上なく大切なものであると、否応なく気づかされたのです。そしてその「絆」の本質が、綱の両端を持って結び付くのではなく、「輪」となって一つになることであれば、それは家族の輪、友人の輪、地域の輪、職場の輪、そして日本人としての輪ということになりましょう。

昨年の初秋、仙台駅の食堂で並んでいる時に、大きなスーツケースを持った若い子達が三人、私の後ろにつきました。楽しそうに話あっている様子や、夏休みの終わり頃ということもあり、旅行の帰りかなと思いました。仙台の方であれば、少しは外へ出かけてみようかという明るい雰囲気が出てきたのかしらと考えもしました。しかし、そうした思いは次の言葉にかき消されました。

「あんなところが畑にもどって、もうすぐ野菜が採れるんだよ。信じられない。」
「がれきばかりだったのに、感動だよね。きれいになったよね。」
と、こんなにうれしいことはないという様子で話していたように覚えています。
聞けば、この若者たちは夏休みを使って復興ボランティアとして働いていた東京の大学生で、震災直後から数えて、今回で三~四回目の活動。それぞれ別の大学ですが、このボランティアを機縁に知り合った仲間ということでした。
手伝ってもらった方もうれしいに違いないでしょう。しかし、お手伝いをしている方も、同じように喜びに満たされていたのです。そこにはまさに人の「輪」ができていました。
「絆」が人々を癒やし、救っているのです。

人のためになす行いを、仏教では菩薩行といいます。菩薩は自分の身を顧みず、私たちに慈悲の心を振り向けてくださいます。同じように、私たちも、ほんのわずかでもよいから、困っている方に手を差し伸べる、寄り添ってみる。そうしたことをできる範囲で行う。こうすることで、僅かながらも苦を和らげ、楽しい気分になることができましょう。
笑顔は人を幸せにしてくれます。ただ寄り添うだけでも、少なくともその瞬間だけでも孤独感からは解放されるのです。震災に限ったことではありません。私たちの日常にこそ必要なことでしょう。
人として基本的かつ不可欠なこころを、私たちは今回の不幸から学んだのではないでしょうか。「絆」という時、それは単に関係性のみをいうのではありません。そこには必ずこころが介在しています。そのこころはまさに人のことを思う菩薩のこころなのです。     

平成25年 春  柳澤 正志


次のおしえへ 「慈悲喜捨」のこころ
このページの上へ