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3.見守る心に宿るもの

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大都市東京の中心地、大手町。そのオフィス街にある人工の池から皇居のお堀へと引っ越しするカルガモ親子が話題となったのは、いったい、いつ頃からだったでしょうか。大都市の道路を、はたして無事に渡り切れるのか。大勢の人々がそっと見守り微笑んでいるニュース映像を、今年もきっと目にすることができるでしょう。

 ところで、みなさんは車を運転中、道路を渡る歩行者の速度に気が急くことはないでしょうか。筆者などは交差点や横断歩道の手前で歩行者を待ち切れず、思わず運転席で「いったい何をしているんだ、さっさと行けよ」とついつい独り言を言っていることがあります。
 でも歩行者のなかには、お年寄りもいればお体の不自由な方、病気で苦しんでいたり怪我をされている方、あるいは小さいお子さんの手を引くお母さんもおられるでしょう。どんなにか気が急いていたとしても、こちらの理屈を押しつけ急がせてしまうわけにもまいりません。歩行者それぞれにはそれぞれの事情とペースがあるはずです。歩行者が安全に渡り終えるまで見守り続ける。それが運転する者の思いやりでありマナーだと思うのですが、こうしたことは車の運転に限ったことではありません。家族、友人、社会、人と人が交わるときにも当てはまるのではないでしょうか。

 「サイの角のようにただ独り歩め」。お釈迦さまが繰り返しお使いになられたフレーズです。たとえ親子であれ夫婦であれ、人は他人の人生を歩むことはできません。それがどんなにか遅々たる歩みに見えたにしても、どんなにか苦しい道のりに思えたにしても誰かと替わってもらえるわけでもあませんし、替わってあげられるものでもありません。人は自分の人生しか歩めないのです。そのことが「ただ独り歩め」というフレーズに託されているのでしょう。
イメージ写真 しかし、このフレーズ。「独りで勝手に生きていけ」と突き放しているわけではありません。「ただ独り歩むしかない」ことが分かっているからこそ、大切な人の人生をただひたすら見守り続けている家族、友達がいるのです。ともに悲しみともに喜びながら、寄り添うお互いがいるのです。ただ寄り添い、ひたすら見守るしかないにしても、そこには思いやりの心、慈悲の心が宿ります。そんな家族、そんな友達、そんな街、そんな社会、そんな世界であって欲しいと思います。        

  (十念寺 袖山榮輝)


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