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2.木枠の遊びと琴の弦

ガラスケースの写真

日本人形などを収めるガラスケース、その隅々でガラス板を組み立てている木枠が案外と緩く接着されていることをご存じでしょうか。

じつは、ある人形店のご主人から教えていただきました。


ご主人いわく、こうしたガラスケースは、木枠を組み立てる時、ガラスが割れた場合に備えて、そもそも接着剤を薄目に塗ってあるのだそうです。もし木枠をがっちり接着してしまうと、ガラスが割れた時、割れたガラスが木枠にはまったまま取り外すことができなくなって、木枠そのものを壊す羽目になるというのです。
頑丈にしたことがかえって仇となる。だから木枠は簡単に分解できるように接着の強さには、ある程度の遊び、加減が必要だとのことでした。
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 ところで、お釈迦さまの弟子にソーナという修行僧がいました。それはそれは熱心に修行を積む方でしたが、その熱心さとは裏腹に、なかなか煩悩が断ち切れない、少しも心安らぐことがないと嘆くのです。いったい、どれほど修行すればいいのか、もう修行をやめてしまおうと思い詰めていた時、お釈迦さまはソーナに声をかけました。

「ソーナよ。琴はどうすればいい音で響くだろうか。弦を強く張りすぎれば、音が詰まって響かない。そればかりか強く弾きすぎれば切れてしまう。かといって緩すぎては、振動すらすることがない。張り過ぎず、緩め過ぎず。それでこそ、いい響きが生まれてくる。熱心に修行する、たゆまずに精進することは大切だが、適度の余裕も忘れてはならない。」

結果を求める余り、ソーナは自分のペースを見失っていたのかも知れません。弦を強く張り過ぎていたのです。お釈迦さまの言葉にソーナは、「一刻も早くさとらねばならない」「あの人がさとれて自分がさとれないのはおかしい」と焦ったり、おごり高ぶっていた自分に気付き、そうした思いを捨て去って、ほどなくさとりを開いたといいます。
お釈迦様の教え 琴の弦写真 どれほど修行を積めばさとれるのか、何か基準があるわけではなりません。「それぞれ」としか言えません。ですからお釈迦さまは、弟子たちそれぞれの修行が花開くタイミングをじっくりと見守っていかれたのです。

現代はたくさんの情報、さまざまな常識があふれています。しかし、その一つ一つに縛られ囚われていては、ガチガチになって身動きが取れません。たとえ何歳になっても人にはみなそれぞれに、心地よく人生を響かせる張り具合、タイミングがあるはずなのです。
そうした張り具合、タイミングを焦らず、落ち着いて見出していく。がっちりとは固めない遊びのある木枠のような、あるいは張りすぎず、緩めすぎない琴の弦のような、そうした「いい加減さ」が案外と心豊かな人生をもたらしていくのではないでしょうか。
「いい加減」という言葉、「しなやかな柔軟さ」と言い換えてもいいかもしれません。

ソーナに示した「琴の弦のたとえ」。この現代においてこそ、生かしていきたいお釈迦さまの教えです。


(十念寺 袖山榮輝)



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